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+ id: 1
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+ name: 天智天皇
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+ period: 626-672
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+ info: 中臣鎌足らと蘇我入鹿暗殺を行い、大化の改新をおこした中大兄皇子のこと。朝鮮半島で行われた白村江の戦いで唐・新羅連合に大敗したのち、天智天皇として即位した。歌人としては、百人一首の第一首を飾るほか万葉集にも4首が選出されている。
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+ name: 持統天皇
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+ period: 645-703
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+ info: 天智天皇の娘。叔父の大海人皇子(天武天皇)に嫁ぐ。天智天皇の死後、天武天皇とともに壬申の乱を起こし皇后となる。天武天皇没後、持統天皇として即位。その後存命中に太子に皇位を委譲した。
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+ name: 柿本人麻呂
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+ period: 660-720
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+ info: 山部赤人とともに「歌聖」と称される飛鳥時代の歌人。「三十六歌仙」の一人にも数えられる。万葉集にも長歌19首、短歌75首が掲載されており、複雑な技巧を駆使した恋歌が特徴的。
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+ name: 山部赤人
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+ period: ???-736
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+ info: 「三十六歌仙」の一人。柿本人麻呂と並び「歌聖」と称せられる奈良時代の歌人。経歴に不明な点が多く、下級官吏だったのではないかと推測されている。万葉集に長歌13首、短歌37首が掲載されており、風景の美しさを詠んだ叙景歌で知られる。
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+ name: 猿丸大夫
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+ period: ???-???
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+ info: 「三十六歌仙」の一人。経歴に謎が多く、その実在すら疑う説もある。花札で「もみじ」と「鹿」の取り合わせは、百人一首に収録された猿丸太夫の歌から。
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+ name: 中納言家持
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+ period: 718-785
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+ info: 「三十六歌仙」の一人。官吏として中納言の位まで昇りつめるが、政争に巻き込まれ辛酸を舐める時期も長かった。万葉集には全体の1割を超える473歌が掲載され、おそらく家持が万葉集の編纂に関わったものと推測されている。
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+ name: 安倍仲麿
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+ period: 698-770
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+ info: 奈良時代に遣唐使に同行して唐へ留学生として渡る。その才を唐の玄宗に気に入られ、科挙にも合格して高官にまで登り詰めた。百人一首に掲載された歌は、渡唐30年を過ぎ、日本への帰国を許されたときに送別の宴で詠んだ歌。しかし船は難破して再び唐に漂着し、日本に帰ることは叶わず73歳の生涯を唐で全うした。
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+ name: 喜撰法師
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+ period: ???-???
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+ info: 平安時代の歌人で、六歌仙の一人。経歴は謎がおおく、現代に伝わる歌も二首のみ。百人一首に掲載された歌にちなみ、宇治茶の銘柄、また茶の隠語として「喜撰」が用いられている。黒船来航時の狂歌、「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」で詠まれた上喜撰は、蒸気船とお茶をかけて皮肉ったもの。
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+ name: 小野小町
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+ period: ???-???
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+ info: 平安前期の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙に称される才女。絶世の美女としてあまたの伝説が伝わるが、その系譜には謎が多い。豊富な恋愛経験にもとづいた情熱的な恋歌が特徴的。紀貫之はその歌を「万葉集の清純さを保ちながら王朝浪漫を漂わせている」と絶賛。
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+ name: 蝉丸
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+ period: ???-???
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+ info: 経歴不詳。琵琶の名人であったといわれる。逢坂の関に庵をかまえ、往来の人を見て百人一首に掲載された歌を詠んだ。蝉丸に関する伝承は平家物語などにも登場するという。
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+ name: 参議篁
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+ period: 802-853
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+ info: さんぎ たかむら。参議は官位で、本名は小野篁。文才に優れ、朝廷の要職を歴任した。遣唐使にも選出されていたが航海はすべて失敗に終わり、渡唐は果たせていない。天皇の機嫌を損ね、「子」を12個並べた文章を読んでみろと難題を出されたが、見事その場で読んでみせた機転の持ち主。身長188cmは当時では相当な巨漢。
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+ name: 僧正遍昭
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+ period: 816-890
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+ info: 六歌仙、三十六歌仙の一人。朝廷につかえていたが、仁明天皇の崩御後に出家。紀貫之は近世の大歌人として称えつつ、「歌の風体はよいが真情に乏しい」と評している。ただ理知的で客観的な作風は出家後のものであり、出家前には情感豊かな歌も見られる。高貴な生まれながら僧籍に入ったこと、また歌僧の先駆けであったことからしばしば物語の題材に取り上げられている。
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+ name: 陽成院
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+ period: 869-949
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+ info: 陽成院は第57代の天皇。9歳で父・清和天皇より譲位され帝位に就くが、摂政・藤原基経との関係がうまくいかず、宮中での騒動をきっかけに17歳で退位を迫られる。退位後65年の上皇歴は歴代1位。歌人として退位後に歌合を主催していたようだが、現代に伝わるのは百人一首に採録された1首のみ。
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+ name: 河原左大臣
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+ period: 822-895
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+ info: 本名は源 融(みなもとの とおる)。左大臣に上り、六条河原院を造営したことから河原左大臣と呼ばれる。「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルの一人といわれる。陽成天皇の時代に、自分より官位が下の右大臣・藤原基経が摂政に抜擢されたことで自宅に引き籠った。のち光孝天皇即位後に職務復帰。河原院に融(とおる)の幽霊がでるというモチーフはたびたび伝説上に現れる。
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+ name: 光孝天皇
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+ period: 830-887
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+ info: 第58代の天皇。陽成院のあとを継いで即位。元服後、親王としてあらゆる官職を歴任。陽成院が退位したのち55歳にして即位したが、病のため3年後に崩御。和歌・和琴にも通じ、諸芸に優れた文化人であったとされる。
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+ name: 中納言行平
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+ period: 818-893
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+ info: 本名・在原行平。六歌仙・三十六歌仙に名を連ねる在原業平の兄であり、兄弟そろって歌人としての才能を見せる。地方官などを歴任し、37歳のときに因幡国(現・鳥取県東部)に任ぜられる。百人一首に選出された歌はそのときに詠んだものとされる。
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+ name: 在原業平朝臣
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+ period: 825-880
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+ info: 前歌の中納言行平の弟で、六歌仙・三十六歌仙の一人。「伊勢物語」のモデルとして知られる。昔から美男の代名詞のように言われ、高貴な女性との禁忌の恋が多く伝わる。勅撰和歌集に80首以上の入選を誇る、平安時代初期を代表する歌人。
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+ id: 18
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+ name: 藤原敏行朝臣
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+ period: ???-907(901)
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+ info: 三十六歌仙の一人。朝臣(あそん)は684年に新たに制定された姓で、上から2つ目の序列に当たる。時代が下るに連れて「朝臣」姓が増えて価値がインフレし形骸化していった。歴代最高の書家として空海に並び名を挙げられるが、現存する書跡は少ない。
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+ name: 伊勢
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+ period: 872-938
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+ info: 平安時代の歌人。三十六歌仙、女流三十六歌仙の一人。伊勢の御息所(みやすどころ)とも呼ばれる。宮中で恋の遍歴を重ね、宇多天皇との間に皇子をもうけたが夭逝した。のち宇多天皇の皇子・敦慶親王と結婚。情熱的な歌風で知られる。
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+ name: 元良親王
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+ period: 890-943
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+ info: 読み方は「もとよし」。陽成天皇の第一皇子だが、父の譲位後に生まれたため帝位にはついていない。色好みの風流人として伝わり、多くの物語に逸話を残す。
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+ name: 素性法師
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+ period: ???-910
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+ info: そせい。平安時代前〜中期の歌人、僧侶。桓武天皇の曾孫。三十六歌仙の一人。百人一首第12歌の遍照が出家前にもうけた子。早い時期に出家し、父とともに朝廷に近い位置で僧侶・歌人として活躍した。宇多天皇の歌会にしばしば招かれている。
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+ name: 文屋康秀
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+ period: ???-885
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+ info: ふんやのやすひで。平安時代前期の歌人。六歌仙の一人。朝廷に仕えたが、終生高い官位に昇ることはなかった。小野小町と親密だったと言われ、三河国(現在の静岡)へ赴任になった際に小町を誘って歌のやり取りをしたという説話が伝わっている。
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+ name: 大江千里
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+ period: ???-???
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+ info: おおえのちさと。男性。平安時代前期の歌人で学者。大学で学んだ儒学者だが、漢詩文などは残っていないという。さまざまな官位を歴任したと言われるが、詳細な記録は伝わっていない。伊予国(現在の愛媛)に赴任していたこともあるという。
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+ name: 菅家
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+ period: 845-903
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+ info: かんけ。菅原道真のこと。平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家。歴代の天皇に重用され右大臣にまで昇りつめたが、左大臣・藤原時平による虚偽の告訴で太宰府(現・福岡県)に左遷される。死後天変地異が多発し道真による祟りと恐れられた。現在は学問の神として祀られている。
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+ name: 三条右大臣
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+ period: 873-932
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+ info: 本名は藤原定方(さだかた)。平安時代前期〜中期の公家・歌人。官吏として栄達をとげ、右大臣からのち従二位まで昇りつめる。三条に自宅があったことから三条右大臣と呼ばれる。和歌・管絃にすぐれ、紀貫之らを後援したことでも知られる。
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+ name: 貞信公
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+ period: 880-949
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+ info: 本名は藤原忠平。平安時代の公家。藤原基経の四男で、菅原道真を左遷した時平の弟。摂政や関白として長く朝政を司った。宇多天皇から醍醐天皇の時代にかけて、兄・時平と菅原道真がそれぞれ左大臣・右大臣として政治を取り仕切ったが、両者の確執により道真は左遷。その後時平も39歳で早逝してのち、忠平が急速な出世を遂げた。
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+ name: 中納言兼輔
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+ period: 877-933
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+ info: 本名は藤原兼輔(かねすけ)。平安時代中期の歌人・公家で、三十六歌仙の一人。賀茂川堤に自邸があったことから堤中納言とも呼ばれる。醍醐天皇の外戚であり、主要な官職を歴任した。また和歌・管絃に優れ、第25歌の三条右大臣とともに当時の歌壇の中心的存在となっていたという。
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+ name: 源宗于朝臣
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+ period: ???-940
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+ info: みなもとのむねゆき。平安時代前期〜中期にかけての官吏・歌人。三十六歌仙の一人。第十五歌の光孝天皇の皇子・是忠親王の子。幼い頃に源姓を賜り、臣籍に降りた。以後地方官などを歴任したが、なかなか官位が上がらないことを嘆いていたという。紀貫之などとも交流があった。
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+ id: 29
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+ name: 凡河内躬恒
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+ period: 859-925
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+ info: おおしこうち の みつね。平安時代前期の官吏・歌人。三十六歌仙の一人。紀貫之らとともに「古今和歌集」の編纂を担当する。地方官を歴任し官位は低かったものの、歌人としては高く評価され多くの歌合などで活躍した。
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+ id: 30
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+ name: 壬生忠岑
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+ period: 860-920
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+ info: みぶのただみね。平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。子に同じく三十六歌仙である壬生忠見(みぶのただみ)がいる。下級武官であったが歌人としては一流との評価を受けた。藤原公任の著書でも最上の評価を受け、儀礼上ふつうは天皇や皇族の歌を置く勅撰和歌集の巻頭歌にも選ばれている。
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+ name: 坂上是則
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+ period: ???-930
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+ info: さかのうえのこれのり。平安時代前期〜中期の歌人・官吏。三十六歌仙の一人。宇多天皇から醍醐天皇の時代にかけて活躍した。また蹴鞠が得意だったらしく、醍醐天皇の前で206回続けて蹴っても落とさなかったという稀代のフットボーラー。ご褒美に絹をもらったと伝わる。
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+ name: 春道列樹
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+ period: ???-920
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+ info: はるみちのつらき。平安時代中期の歌人。大学で文章を学ぶ文章生となり、その後壱岐守(現在の長崎)に任じられたが赴任前に没した。
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+ name: 紀友則
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+ period: 845-907
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+ info: きのとものり。平安時代前期の官吏・歌人。紀貫之のいとこ。三十六歌仙の一人。歌人としては早くから評価されていたものの、官吏としては40歳過ぎまで無官で過ごす。紀貫之らとともに「古今和歌集」の編纂を担当したが、完成を見る前に没した。
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+ id: 34
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+ name: 藤原興風
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+ period: ???-???
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+ info: ふじわらのおきかぜ。平安時代の歌人・官吏。三十六歌仙の一人。官位は低かったが「古今和歌集」の時代を代表する歌人とされ、当時の歌合にも多数参加していた。管絃にも秀でていたと言われている。
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+ name: 紀貫之
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+ period: 866-872
209
+ info: 平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。醍醐天皇の命で初の勅選歌集「古今和歌集」を、紀友則(第33歌)・壬生忠岑(第30歌)・凡河内躬恒(第29歌)とともに編纂。歌人として日本史上でも最も敬意を払われてきた人物といえる。散文では有名な「土佐日記」を著した。
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+ name: 清原深養父
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+ period: ???-???
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+ info: きよはらのふかやぶ。平安時代中期の歌人。曾孫に清少納言がいる。中古三十六歌仙の一人。存命中は高い評価を得ていたが、三十六歌仙に選ばれなかったため後に百人一首に掲載された歌も高い評価を受けなかったという。のち再評価され中古三十六歌仙に選出された。
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+ name: 文屋朝康
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+ period: ???-???
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+ info: ふんやのあさやす。平安時代中期の歌人。六歌仙・中古三十六歌仙の一人である文屋康秀(第22歌)の子。その経歴はほとんど伝わっておらず、歌人として評価されていたようだが勅撰和歌集にも計3歌しか収録されていない。
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+ id: 38
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+ name: 右近
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+ period: ???-???
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+ info: うこん。平安時代中期の女流歌人。醍醐天皇の中宮(天皇の妻)・穏子に仕えた。いくつかの歌合に出席した記録が残っている。百人一首に収録された歌で詠まれている相手は藤原敦忠(第43歌)だという説がある。
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+ id: 39
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+ name: 参議等
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+ period: 880-951
233
+ info: さんぎ ひとし。本名は源等(みなもとのひとし)。平安時代前期〜中期の公家。さまざまな官位を歴任し参議にまで昇りつめたためこの名で後世に伝わる。
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+ id: 40
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+ name: 平兼盛
238
+ period: ???-991
239
+ info: たいらのかねもり。平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。文章生(大学で文章を学ぶ学生)を経て官位を歴任。皇族だったが臣籍降下し平姓を賜った。百人一首収録歌は、村上天皇の開催した天徳内裏歌合で「恋」を題材に壬生忠見(第40歌)と競ったときのもの。
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+ id: 41
243
+ name: 壬生忠見
244
+ period: ???-???
245
+ info: みぶのただみ。平安時代中期の歌人。壬生忠岑(第30歌)の子。父と同じく三十六歌仙の一人。経歴については謎が多く、一番有名なのは天徳内裏歌合で平兼盛(第40歌)と競った逸話。官位が低い忠見はこの勝負に賭ける想いが強く、敗北のショックで悶死したとも言われる。
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+ -
248
+ id: 42
249
+ name: 清原元輔
250
+ period: 908-990
251
+ info: きよはらのもとすけ。平安時代の歌人・官吏。三十六歌仙の一人。清少納言の父。地方官などを歴任した。祭に参列している際に落馬し、禿頭だったために冠が滑り落ちた様を見物人に笑われ、かぶり直すこともせず物見車に一台ずつ弁解していったためさらに笑われたという逸話が残る。
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+ -
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+ id: 43
255
+ name: 権中納言敦忠
256
+ period: 906-943
257
+ info: 本名は藤原敦忠(あつただ)。平安時代中期の公家・歌人。三十六歌仙の一人。美貌で和歌や管絃にも秀でていたとされ、多くの女流歌人との贈答歌が残っている。
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+ id: 44
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+ name: 中納言朝忠
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+ period: 910-967
263
+ info: 本名は藤原朝忠(あさただ)。平安時代中期の公家・歌人。三十六歌仙の一人。三条右大臣(第25歌)の五男。さまざまな官位を歴任し、また歌人としても高い評価を得た。座るのも苦しいほどの肥満体で、医者に薦められて水飯を食べてよけい太ったという逸話があるが、別人物との混同で朝忠は太っていなかったとも言われている。
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+ id: 45
267
+ name: 謙徳公
268
+ period: 924-972
269
+ info: 本名は藤原伊尹(これただ)。平安時代中期の公家。摂政・右大臣まで昇りつめたがその翌年に急逝。その後権勢は弟の家系に移った。妹が中宮(天皇の妻)として生んだ冷泉天皇・円融天皇が即位することで権力の絶頂に達する。豪奢を好む性格で和歌にも造詣が深かった。
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+ id: 46
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+ name: 曾禰好忠
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+ period: ???-???
275
+ info: そねのよしただ。平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。ひとりで百首歌う「百首歌」を作り、1年を360首に歌う「毎月集」を作るなど、先進的な気風の持ち主。偏狭で自尊心の強い性格から当時は孤立しがちだったらしいが、その革新的な歌風が平安後期の歌人たちから再評価されたという。
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+ id: 47
279
+ name: 恵慶法師
280
+ period: ???-???
281
+ info: えぎょうほうし。平安時代中期の僧・歌人。中古三十六歌仙の一人。出自・経歴とも不詳だが、当時の歌合などに出ていたらしい記録が残っている。大中臣能宣朝臣(49歌)や紀時文(貫之(35歌)の子)ら、公家歌人たちとの交流があったらしい。
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+ id: 48
285
+ name: 源重之
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+ period: ???-1000
287
+ info: みなもとのしげゆき。平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。地方官を歴任したが、あまり官職には恵まれなかった様子。勅撰和歌集に68首が入集するなど歌人として実績を残すが、その境遇のせいか旅の歌や不遇を嘆く歌が多いらしい。
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+ -
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+ id: 49
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+ name: 大中臣能宣朝臣
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+ period: 921-991
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+ info: おおなかとみの よしのぶ。平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。951年、村上天皇の命により「梨壺の五人」の一人として和歌所のメンバーに選出。「万葉集」の解読などにあたった。百人一首選出歌は能宣作ではないという説が有力。
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+ name: 藤原義孝
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+ period: 954-974
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+ info: ふじわらのよしたか。平安時代中期の公家・歌人。藤原伊尹(45歌)の子で、中古三十六歌仙の一人。さまざまな官職を歴任し順調に出世していたが、当時流行した疱瘡(天然痘)にかかり兄と同日に21歳で早逝した。仏教への信仰心が非常に篤かっという。
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+ name: 藤原実方朝臣
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+ period: ???-999
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+ info: ふじわらの さねかた あそん。平安時代中期の貴族・歌人。中古三十六歌仙の一人。左中将まで至ったが、天皇の面前で口論をしたことから陸奥守に左遷。任地で馬に乗っている時、馬が突然倒れてその下敷きになって没した。光源氏のモデルの一人とも言われる風流児。
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+ name: 藤原道信朝臣
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+ period: 972-994
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+ info: ふじわらの みちのぶ あそん。平安時代中期の公家・歌人。中古三十六歌仙の一人。順調に位をあげていたが流行りの天然痘により23歳で早逝。和歌に秀で、奥ゆかしい性格だったと評されている。
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+
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+ -
314
+ id: 53
315
+ name: 右大将道綱母
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+ period: 936-995
317
+ info: うだいじょう みちつなの はは。平安時代中期の歌人。子の道綱とともに中古三十六歌仙の一人に選ばれている。藤原兼家の妻の一人であり、結婚生活の様子などを「蜻蛉日記」に綴った。晩年は摂政になった夫にかまってもらえず、寂しい生活を送ったとも言われる。
318
+
319
+ -
320
+ id: 54
321
+ name: 儀同三司母
322
+ period: ???-996
323
+ info: ぎどう さんしの はは。本名・高階貴子(たかしなのきし)。平安時代の女流歌人。通称は息子・藤原伊周の冠名「儀同三司」による。和歌・詩文に長けていたといわれ、夫・藤原道隆との間に多くの子をもうけた。道隆没後、権勢は藤原道長に移り母子ともに不遇の時代を過ごしたという。
324
+
325
+ -
326
+ id: 55
327
+ name: 大納言公任
328
+ period: 966-1041
329
+ info: だいなごん きんとう。本名は藤原公任(ふじわらの きんとう)。平安時代中期の公家・歌人。祖父と父がともに関白・太政大臣を務め、母・妻がともに女王となった名門の出。優れた学才で、藤原斉信、源俊賢、藤原行成とともに「一条朝の四納言」と称された。プライドが高く、四納言の他のメンバーに官位を抜かれた際に半年出仕しなかったらしい。
330
+
331
+ -
332
+ id: 56
333
+ name: 和泉式部
334
+ period: 978-???
335
+ info: いずみしきぶ。平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。和泉式部という名は、和泉守・橘道貞の妻となり和泉国に入ったことから。道貞との婚姻は後に破綻する。恋愛遍歴が豊富で、道長から「浮かれ女」と評され、同僚の紫式部からは「恋文や和歌は素晴らしいが素行は感心できない」と批評された。生き方そのままに、情熱的な恋歌が真骨頂。
336
+
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+ -
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+ id: 57
339
+ name: 紫式部
340
+ period: ???-???
341
+ info: むらさきしきぶ。平安時代中期の女流作家・歌人。中古三十六歌仙の一人。「源氏物語」の作者とされている。夫の死後に一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え、その間に源氏物語を著した。学者であった父の才を受け継ぎ、非凡な文才で幼少から名を馳せたという。同時代の女性について辛辣な批評を残したことでも知られる。
342
+
343
+ -
344
+ id: 58
345
+ name: 大弐三位
346
+ period: 999-1082
347
+ info: だいにのさんみ。本名は藤原賢子(ふじわらのけんし)。平安時代中期の女流歌人で紫式部(第57歌)の娘。さまざまな恋愛遍歴を経て、時の関白・藤原道兼の次男、兼隆と結婚。一女をもうけた。のち高階成章と再婚し、息子・為家を産む。
348
+
349
+ -
350
+ id: 59
351
+ name: 赤染衛門
352
+ period: 956-1041
353
+ info: あかぞめえもん。平安時代中期の女流歌人。中古三十六歌仙の一人。紫式部・和泉式部らと交流があり、同時代では和泉式部と並びその才を称された。情熱的な和泉式部の歌風に対し、赤染衛門は穏やかで典雅な歌風と評される。
354
+
355
+ -
356
+ id: 60
357
+ name: 小式部内侍
358
+ period: 999-1025
359
+ info: こしきぶのないし。平安時代の女流歌人。和泉式部の娘。母とともに一条天皇の中宮・彰子に仕えたため、母と区別するために小式部という名で呼ばれた。母同様多くの浮名がを流したが、藤原公成との子を産んだ際に20代で逝去。和泉式部が嘆きの歌を残している。
360
+
361
+ -
362
+ id: 61
363
+ name: 伊勢大輔
364
+ period: 989-1060
365
+ info: いせのたいふ。平安時代中期の女流歌人。中古三十六歌仙の一人。和泉式部や紫式部らと親交があったとされる。子にも優れた歌人が多い。
366
+
367
+ -
368
+ id: 62
369
+ name: 清少納言
370
+ period: 966-1025
371
+ info: せいしょうなごん。平安時代の女流作家・歌人。随筆「枕草子」の作者として有名。梨壺の五人に数えられる清原元輔(第42歌)の娘。才気煥発で宮廷での機知に富んだやりとりでその名を残す。紫式部とのライバル関係がよく話題になるが、時代関係からも真偽は不明。
372
+
373
+ -
374
+ id: 63
375
+ name: 左京大夫道雅
376
+ period: 992-1054
377
+ info: 本名は藤原道雅(みちまさ)。平安時代中期の公家・歌人。本来名門の出だが、実家は凋落の時期にあり本人も密通がばれての左遷やその後の皇女暗殺疑惑など乱行が絶えず、悪い評判が残る。その素行とは裏腹に和歌は巧みで、中古三十六歌仙の一人としても知られる。
378
+
379
+ -
380
+ id: 64
381
+ name: 権中納言定頼
382
+ period: 995-1045
383
+ info: 本名は藤原定頼(ふじわらの さだより)。平安時代中期の公家・歌人。中古三十六歌仙の一人で、父は歌人の藤原公任(55歌)。官位を歴任した後、病をきっかけに出家。音楽・読経・書の名手でもあり、軽薄な性格であったと伝わる。
384
+
385
+ -
386
+ id: 65
387
+ name: 相模
388
+ period: 998-1061
389
+ info: さがみ。平安時代後期の歌人。中古三十六歌仙の一人。二度の結婚失敗を経て、一条天皇の皇女に仕える。この間に幾多の歌合にその名を連ね、歌人・藤原公任(64歌)との恋愛も知られる。夫の地方赴任に従ったものの現地女性と浮気され恨みを込めた歌を多く残す。
390
+
391
+ -
392
+ id: 66
393
+ name: 前大僧正行尊
394
+ period: 1055-1135
395
+ info: ぎょうそん。平安時代後期の僧・歌人。鳥羽天皇の護持僧を務め、僧として数々の業績を残す。また歌人としての評価も高く、能書家としても伝わっている。
396
+
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+ -
398
+ id: 67
399
+ name: 周防内侍
400
+ period: 1037-1109
401
+ info: すおうのないし。平安時代後期の歌人。本名は平仲子(たいらのちゅうし)。後冷泉天皇に仕え、崩御後は家でふさぎこんでいたが、その後、後三条天皇から堀河天皇まで4代にわたって出仕した。
402
+
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+ -
404
+ id: 68
405
+ name: 三条院
406
+ period: 976-1017
407
+ info: 冷泉天皇の第二皇子で、第67代の天皇。早くに母を失い、父・冷泉帝も精神病を患っており後見が弱かったが、外叔父にあたる藤原兼家の寵愛を受けて即位。のちに藤原道長と衝突し、その圧力を受けて退位。百人一首の収録歌は退位の際に詠まれたとされる。
408
+
409
+ -
410
+ id: 69
411
+ name: 能因法師
412
+ period: 988-1050
413
+ info: のういん。平安時代中期の僧侶・歌人。中古三十六歌仙の一人。二十代で出家し、諸国を旅しながら多くの歌を残したとされる。
414
+
415
+ -
416
+ id: 70
417
+ name: 良暹法師
418
+ period: ???-???
419
+ info: りょうぜんほうし。平安時代中期の僧・歌人。出自・経歴などは不明だが、いくつかの歌合に出席していた記録が残る。
420
+
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+ -
422
+ id: 71
423
+ name: 大納言経信
424
+ period: 1016-1097
425
+ info: 本名は源経信(みなもとの つねのぶ)。平安時代後期の公家・歌人。朝政において順調に出世を重ね、大納言の地位まで昇りつめる。詩歌・管弦に多彩な才能を示し、当代随一の歌人とされた。
426
+
427
+ -
428
+ id: 72
429
+ name: 祐子内親王家紀伊
430
+ period: ???-???
431
+ info: ゆうしないしんのうけの きい。平安時代院政期の女流歌人。生没年や出生にも不明な点が多く、伝記的な事実はほとんど伝わっていない。
432
+
433
+ -
434
+ id: 73
435
+ name: 前権中納言匡房
436
+ period: 1041-1111
437
+ info: 本名は大江匡房(おおえのまさふさ)。平安時代後期の公卿・儒学者・歌人。官位は権中納言。古くからの学者の家系に育ち、幼い頃から学才を発揮して昇進を重ねる。
438
+
439
+ -
440
+ id: 74
441
+ name: 源俊頼朝臣
442
+ period: 1055-1129
443
+ info: みなもとのとしより。平安時代後期の官吏・歌人。幼い頃より歌才を示し、多くの歌合に作者・判者として参加した。藤原基俊(75歌)とともに当代随一の歌人と讃えられる。革新的な歌風で知られた。
444
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445
+ -
446
+ id: 75
447
+ name: 藤原基俊
448
+ period: 1060-1142
449
+ info: ふじわらのもととし。平安時代後期の公家・歌人。位人臣を極めた藤原道長の曾孫にあたるが、官位には恵まれなかった。歌壇への登場も遅かったが、源俊頼(74歌)とともに指導的な立場に立っていたと言われる。
450
+
451
+ -
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+ id: 76
453
+ name: 法性寺入道前関白太政大臣
454
+ period: 1097-1164
455
+ info: 本名は藤原忠通(ふじわらの ただみち)。平安時代後期から末期の公家。忠通の命名は大江匡房(73歌)による。鳥羽天皇の治世で25歳にして関白となり、その後も3代続けて摂政・関白を務めた。
456
+
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+ -
458
+ id: 77
459
+ name: 崇徳院
460
+ period: 1119-1164
461
+ info: すとくいん。第75代天皇。鳥羽天皇の第一皇子として生まれたが、父には疎んぜられた。早くに父から帝位を譲り受けたが、その後父に寵愛された弟の近衛天皇への譲位を迫られ、退位後は和歌の世界に没頭したと言われる。
462
+
463
+ -
464
+ id: 78
465
+ name: 源兼昌
466
+ period: ???-???
467
+ info: みなもとのかねまさ。平安時代中期から後期にかけての歌人・官人。官位に恵まれず、従五位下まで進むがその後出家。いくつかの歌合に出席した記録が残る。
468
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469
+ -
470
+ id: 79
471
+ name: 左京大夫顕輔
472
+ period: 1090-1155
473
+ info: 本名は藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)。平安時代後期の公家・歌人。白河上皇の近臣として昇進を重ねる。周辺にすぐれた歌人が多く、自身も勅撰和歌集に84首が入選するなど歌人としても実績を残している。
474
+
475
+ -
476
+ id: 80
477
+ name: 待賢門院堀河
478
+ period: ???-???
479
+ info: たいけんもんいんのほりかわ。平安時代後期の女流歌人。中古三十六歌仙の一人。鳥羽天皇の中宮・待賢門院藤原璋子に出仕し、堀川と呼ばれた。待賢門院堀川という呼び名はこのことから。
480
+
481
+ -
482
+ id: 81
483
+ name: 後徳大寺左大臣
484
+ period: 1139-1192
485
+ info: 本名は徳大寺実定(とくだいじ さねさだ)。平安時代末期〜鎌倉時代初期の公卿・歌人。激動する時代の変わり目にあって政争にも巻き込まれたが、概ね順調な政治人生を送り、源頼朝からも信頼を受ける。祖父が徳大寺左大臣として有名だったため実定は後徳大寺〜と呼ばれる。詩歌管絃に優れ、教養豊かな文化人だったと伝わる。
486
+
487
+ -
488
+ id: 82
489
+ name: 道因法師
490
+ period: 1090-1182
491
+ info: 本名は藤原敦頼(ふじわらのあつより)。平安時代後期の歌人。官吏として仕えた後、出家して道因を名乗った。歌への執着が大変強く、歌神として信仰されていた大坂の住吉大社まで毎日徒歩で参拝し、秀歌を詠めるよう祈願していたという。
492
+
493
+ -
494
+ id: 83
495
+ name: 皇太后宮大夫俊成
496
+ period: 1114-1204
497
+ info: 本名は藤原俊成(ふじわらのとしなり)。平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。最終官位が皇太后宮大夫。早くから歌に目覚め、藤原基俊(75歌)に師事した。桐火桶を抱えて歌を詠む癖があり、周囲からからかわれていたらしい。
498
+
499
+ -
500
+ id: 84
501
+ name: 藤原清輔朝臣
502
+ period: 1104-1177
503
+ info: ふじわらのきよすけ。平安時代末期の歌人。藤原顕輔(79歌)の三男。白河上皇の近臣として仕え、のち公卿に列席して正三位を務める。歌人としても多数の歌合で活躍した記録が残る。
504
+
505
+ -
506
+ id: 85
507
+ name: 俊恵法師
508
+ period: 1113-1191
509
+ info: しゅんえ。平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼(74歌)。17歳で父と死別してから約20年ほど歌から遠ざかっており、現在千百首あまり伝わる歌のほとんどは40歳以降に詠まれたものとされる。「幽玄の美」の表現に尽くした。
510
+
511
+ -
512
+ id: 86
513
+ name: 西行法師
514
+ period: 1118-1190
515
+ info: さいぎょう。平安時代末期から鎌倉時代初期の武士・僧侶・歌人。23歳で出家するまで鳥羽院の身辺警護として仕える。出家後は諸国を流浪し、多くの和歌を残した。俊恵(85歌)の影響を受けつつ独自の歌風を確立し、後世に多大な影響を与えた。
516
+
517
+ -
518
+ id: 87
519
+ name: 寂蓮法師
520
+ period: 1139-1202
521
+ info: じゃくれん。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人・僧侶。10代で藤原俊成(83歌)の養子となり、30代で出家、歌道に精進した。書家としても名を成している。
522
+
523
+ -
524
+ id: 88
525
+ name: 皇嘉門院別当
526
+ period: ???-???
527
+ info: こうかもんいんの べっとう。平安時代末期の女流歌人。崇徳天皇の中宮・皇嘉門院聖子に仕えたためこの名がある。様々な歌合に参加した記録が残るが、晩年は出家したらしい。
528
+
529
+ -
530
+ id: 89
531
+ name: 式子内親王
532
+ period: 1149-1201
533
+ info: しきしないしんのう。平安時代末期の皇女。後白河天皇の三女で、新三十六歌仙の一人。賀茂神社にて奉仕していたが、病により辞した。歌合などへの出席記録は極端に少ないが、藤原俊成に師事していたことなどから当時の代表的歌人としての評価を得ていた。
534
+
535
+ -
536
+ id: 90
537
+ name: 殷富門院大輔
538
+ period: 1130-1200
539
+ info: いんぷもんいんの たいふ。平安時代末期の歌人。後白河天皇の第一皇女・殷富門院に仕えた。藤原定家、西行など多くの歌人と交流があり、鴨長明も近代の女流歌人の筆頭として名を挙げている。
540
+
541
+ -
542
+ id: 91
543
+ name: 後京極摂政前太政大臣
544
+ period: 1169-1206
545
+ info: 本名は九条義経(くじょうよしつね)。平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿。実力者・九条兼実の嫡男となって宮中で順調に昇進したが政変にあい一時蟄居。その後政界に返り咲いて太政大臣まで上り詰めた。和歌・書道・漢詩に優れ、とくに書は天才的だったと言われる。
546
+
547
+ -
548
+ id: 92
549
+ name: 二条院讃岐
550
+ period: 1141-1217
551
+ info: にじょういんのさぬき。平安時代末期から鎌倉時代前期の女流歌人。二条天皇即位と同時期に内裏女房として出仕。19歳の頃から歌壇での活躍が伝わる。その後の人生には諸説あるが、晩年まで歌人として活動していたとされる。
552
+
553
+ -
554
+ id: 93
555
+ name: 鎌倉右大臣
556
+ period: 1192-1219
557
+ info: 本名は源実朝。鎌倉幕府の第三代征夷大将軍。源頼朝の次男として生まれ、兄の頼家が追放された後、12歳で将軍の位に就いた。政治ははじめ執権を務める北条氏が主に担当したが、成長して後は自身でも関与。若くして兄・頼家の子に暗殺され、以降源氏の将軍は断絶した。
558
+
559
+ -
560
+ id: 94
561
+ name: 参議雅経
562
+ period: 1170-1221
563
+ info: 本名は飛鳥井雅経(あすかい まさつね)。平安時代末期から鎌倉時代前期の公家・歌人。源頼朝・義経兄弟が対立した際、父が義経と親しかったため連座して鎌倉に護送されたが、雅経は頼朝から和歌・蹴鞠の才能を評価され重用されたという。後鳥羽上皇から蹴鞠長者の称号も賜った。
564
+
565
+ -
566
+ id: 95
567
+ name: 前大僧正慈円
568
+ period: 1155-1225
569
+ info: じえん。平安時代末期から鎌倉時代の天台宗の僧。関白・藤原忠通(76歌)の子で、歴史書「愚管抄」を著した。38歳で天台座主になり、公武の協調を理想として掲げながら座主として奔走した。西行(86歌)に天台を学ぼうとしたとき、和歌の心得がなければできないと言われ和歌を修行したという。
570
+
571
+ -
572
+ id: 96
573
+ name: 入道前太政大臣
574
+ period: 1171-1244
575
+ info: 本名は西園寺公経(さいおんじ きんつね)。平安時代・鎌倉時代の公卿・歌人。頼朝の姪を妻としたことから鎌倉幕府との結びつきが強く、朝廷の実権を握るに至った。保身と我欲の追求を批判され、「世の奸臣」などとも評される。
576
+
577
+ -
578
+ id: 97
579
+ name: 権中納言定家
580
+ period: 1162-1241
581
+ info: 本名は藤原定家(ふじわらのていか)。鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊成(83歌)の次男。歌学の宗匠として仰がれてきた。俊成の「幽玄」を独自に深化し、「有心」を唱えた。「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」などを編纂したほか、小倉百人一首も選定。
582
+
583
+ -
584
+ id: 98
585
+ name: 従二位家隆
586
+ period: 1158-1237
587
+ info: 本名は藤原家隆(ふじわらのいえたか)。鎌倉時代初期の公卿・歌人。地方官を歴任した後、宮内卿を務めた。晩年は病を得て出家。晩成の歌人だったが藤原定家と並び称されるほどにまでなった。
588
+
589
+ -
590
+ id: 99
591
+ name: 後鳥羽院
592
+ period: 1180-1239
593
+ info: ごとばてんのう。第82代天皇。源氏が勢力が拡大する中、前代の安徳天皇が平家に庇護されて都を離れ、在位が重複する形で源氏に庇護された後鳥羽院が即位することになった。この際即位に必要な神器は平家側にあり、神器なき即位となったことが後鳥羽院のコンプレックスになっていたと言われる。歌人としても絶大な評価を受ける。
594
+
595
+ -
596
+ id: 100
597
+ name: 順徳院
598
+ period: 1197-1242
599
+ info: じゅんとくいん。第84代天皇。後鳥羽天皇(99歌)の第三皇子。父・後鳥羽天皇の期待を受け、皇権示威に努めた。父と共に倒幕を企て承久の乱に加わったが失敗。佐渡に流され、断食の末に頭に焼け石を乗せて死んだと伝わる。
600
+